ローマ

ローマ人への手紙

1章

パウロ、イエス・キリストの僕、召された使徒、神の福音のために聖別された者。
2 福音は、聖書によって神の預言者たちを通して約束されたものであり、
3 神の御子息についてです。この御子息とは、肉によってダビデの種から生まれた方です。
4 力によって聖なるものの御霊で、死からの復活により、神の御子息と宣言されました。この方が、私たちの主イエス・キリストです。
5 私たちはこの方により、恵みと使徒職を受けました。これは、この方の御名のため、すべての国の中で、従順に信仰に至るためです。
6 彼らの間にいたあなたがたも、イエス・キリストの召された人たちです。
7 ローマにいる、神に愛され、召されたすべての聖徒に。私たちの父なる神と主イエス・キリストより、あなたがたに恵みと平安がありますように。
8 まず第一に、私はあなたがたの信仰が、全世界に語られていることを、皆さんのゆえに、まずイエス・キリストを通して私の神に感謝します。
9 なぜなら、いつも祈りの時に、私がどのようにして、絶えずあなたがたを覚えているかは、私は自らの霊で御子息の福音に仕えている神が、私の証人でおられます。
10 神の御意志によって、どうか今度はあなたがたの所に、成功裏に行けるよう、いつも私の祈りでお願いしています。
11 私があなたがたに会うことを切に願っている理由は、あなたがたを揺るがない人とするために、何らかの霊的な賜物を与えるためです。
12 しかしそれは、あなたがたと私との同じ信仰を通して、互いに励まされるためでもあります。
13 しかし、兄弟たちよ、私はあなたがたをこれについて知らずにいてほしくありませんが、私はほかの異邦人の中に実があると同様に、あなたがたの中にも、少しでも実が得られるように、何度もあなたがたの所に行こうと計画したが、今まで妨げられてきました。
14 私は、ギリシャ人にも未開人にも、賢い人にも愚かな人にも負債のある者です。
15 それゆえに私としては、ローマにいるあなたがたにも、熱意を持って福音を宣べ伝えようとしているのです。
16 というわけで、私はキリストの福音を恥とは思っていません。福音はユダヤ人を初めギリシャ人にも、すべて信じる人にとって、救いに至る神の力だからです。
17 なぜなら、神の義はそれによって、信仰から信仰へと啓示されているからです。「義人は、信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
18 そのわけは、不義の中に真実があるとする人間の、すべての不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から現れています。
19 なぜなら、神に関して知り得ることは、彼らの中に表われているからです。神がそれを彼らに表わされたゆえです。
20 というのは、目に見えない神の事柄、つまりその方の永遠の力と、神としての性質は、世界の創造からはっきりと気づかれるようになっています。それらは、その方の造られたものによって理解されています。そのために、彼らは言い逃れる余地がありません。
21 なぜなら、彼らは神を知っていた時、その方に神として栄光を捧げず、感謝もせず、むしろ考え方は空虚となり、彼らのその愚かな心は、暗くなったからです。
22 自分を賢いと自称しながら、愚かな者となってしまいました。
23 また、不朽の神の栄光を、朽ちてしまう人間や、鳥や、四つ足の動物や、這う動物の形の像に変えてしまいました。
24 そのため、神は彼らを彼ら自身の心の欲望に引き渡されました。これは、彼らが互いに自分の体をはずかしめるためです。
25 彼らは、神の真理をうそに入れ替え、創造者よりも造られたものを拝んだり、仕えたりしました。創造主は、永遠にほめたたえられます。アーメン。
26 そのため、神は彼らを破廉恥な愛欲に引き渡されました。つまり、彼らの女でさえ、生まれながらの本来の性愛を自然に反するものに変えてしまいました。
27 同様に、男も、女との生まれながらの本来の性愛を捨て、彼らの情欲で互いに燃え、男は男と不潔な破廉恥なことを行なっていて、そして彼らの誤りにふさわしい報いを、彼ら自身の体の中に受けているのです。
28 そして、このようにして、彼らは神を知識の中に留めることさえ好まなかったので、神は、彼らを拒否された精神に引き渡されました。ゆえに、彼らは不適切なことをするようになりました。
29 彼らはあらゆる不義、性的な罪、悪、貪欲、悪意で満たされていて、妬み、殺人、争い、偽り、悪心、陰口でいっぱいになっています。
30 悪口を言う者、神を憎む者、暴言をはく者、高慢な者、大言をはく者、悪を企む者、親に従わない者、
31 無知な者、不誠実な者、無情な者、和解できない者、無慈悲な者です。
32 神の正しい定めを知りながら、つまり、これらのことを行なっている者たちは、死に値することを知りながら、彼らも同じことを行なっているだけではなく、またこれらを行なっている者たちに全く賛同しています。

2章

それでは、ああ、裁いているすべての者よ、あなたは言い訳ができません。なぜなら、あなたも裁いている人と同じことをしているから、他人を裁くことによって、あなた自身をも、罪に定めていることになるのです。
2 しかし、このようなことを犯している者たちの上に、神の裁きが真理によることを、私たちは知っています。
3 ああ、そのようなことを犯している人たちを裁きながら、自分も同じことを犯しているあなたは、神の裁きを逃れることができると思っていますか。
4 また、神の善性、忍耐、寛容の富をバカにしていませんか。神の思いやりは悔い改めに導くことを知らないのですか。
5 しかし、あなたのかたくなさと、悔い改めない心によって、あなたは自分に怒りの日である、神の正しい裁きが啓示される日のために、自分の上に怒りを積み重ねています。
6 神は一人一人に、それぞれの行為に基づいて、報われます。
7 一方、良い働きの耐え忍びによって、栄光と敬意と不朽とを求めている人に、永遠の命を報いられます。
8 もう一方は争い好きで、利己的であり、真理を信頼せず、不義を信頼している者たちに、憤りと怒りを報いられます。
9 また、悪を行なうすべての人の魂の上に苦難と困難を、神は報いられます。まずユダヤ人の上に、次にギリシャ人の上にです。
10 しかし、善を行なうすべての人の上に、栄光と敬意と平安を、神は報いられます。まずユダヤ人の上に、次にギリシャ人の上にです。
11 なぜなら、神には偏見がないからです。
12 なぜなら、律法なしに罪を犯したすべての者は、同様に律法なしに滅ぼされます。律法の下に罪を犯したすべての者は、律法によって裁かれます。
13 (律法を聞くだけの者は神の前で義でないが、律法を実行する者は義と認められるからです。
14 なぜなら、律法を持たない異邦人が、生まれながら持っている者で律法を行なう時は、彼ら自身が律法なのです。
15 そういう人々は、心の中に書いてある律法を外に示しています。その人々の良心は彼らとともに証をして、お互いの間にある思いは、互いに責めたり、さらに互いに弁明したりすることもあります。)
16 このことは、神が私の伝える福音のとおりに、イエス・キリストを通して、人間の秘密を裁く日に実行されます。
17 心せよ。あなたはユダヤ人と自称し、律法の上に安住し、神を誇り、
18 ご意志を知り、律法に教えられ、より良いものを是認します。
19 あなたは、自分自身が盲人を導く者であり、暗闇の中にいる者たちの光であり、
20 また、愚か者たちの教師であり、幼児たちの先生であり、律法における知識と真理の姿を持っていると確信しています。
21 ゆえに、他人を教えている教師よ。自分に教えないのですか。盗んではいけない、と説教する人よ。自ら盗みをするのですか。
22 姦淫をしてはいけない、と言う人よ。姦淫をするのですか。偶像を忌み嫌う人よ。宮のものをかすめるのですか。
23 律法を自分の誇りとするあなたは、律法を破ることを通して、神を侮っているのですか。
24 なぜなら、書いてあるとおりに、「神の御名はあなたがたを通して異邦人の間で侮辱されているからである。」
25 なぜなら、律法を守っていれば、割礼は本当に有益であったが、律法を破る者になったら、割礼は無割礼になってしまったのです。
26 ですから、もし無割礼の者が、律法の正しさを守っているなら、その者の無割礼は、割礼として認められるのではありませんか。
27 そして、生まれたままで律法を全うする無割礼の者が、律法の文字と割礼がありながらも、律法の違反者であるあなたを、裁くことになるのです。
28 ゆえに、見た目にはユダヤ人であるからと言って、ユダヤ人ではなく、また、肉体的に見た目だけの割礼は、割礼ではありません。
29 かえって、中身がユダヤ人である者こそ、ユダヤ人であり、律法の文字によるものではなく、霊による心の割礼が割礼です。そういうユダヤ人の名誉は、人間からではなく、神からのものです。

3章

では、ユダヤ人が優れているところは何ですか、また、割礼の利益は何ですか。
2 あらゆる面に大いにあります。第一に、ユダヤ人に神の御言葉が委ねられたのです。
3 なぜなら、信じない者たちがいたらどうでしょう。彼らの不信仰は神への信仰を無にするのでしょうか。
4 断じて違います。すべての人が虚言をはいても、神は真実です。「あなたは、あなたの御言葉によって義と認められ、また裁かれる時に勝利を得られるように。」と書かれているとおりです。
5 しかし、もし私たちの不義が、神の義を明らかにするなら、私たちはどう言えばいいでしょうか。怒りをお下しになる神は、正しくないのでしょうか。(私は、ただの人間として、話しをしているのです。)
6 断じて違います。もしそうなら、神はどういうふうに世を裁かれるのでしょうか。
7 なぜなら、もし私のうそによって、神の真理が栄光を増したとしたら、私はなぜ、まだ罪人として裁かれるのですか。
8 「善が来るために、悪を行なおう。」とは、私たちは言っていません。私たちは、そう言っていると言われているが、それはいわれのない中傷です。こう言うことを言う者に対する裁きは、正しいのです。
9 では、どうでしょう。私たちの方が優れているのでしょうか。まったくそうではありません。なぜなら、ユダヤ人もギリシャ人も罪の下にいることを、私たちはすでにはっきりさせました。
10 「正しい者はいない。一人もいない。」と書いてあるとおりです。
11 「理解している者はいない。神を探し求める者はいない。
12 人はすべて、道から離れてしまった。同時に彼らは役立たずになった。誰も善を行なっていない。一人もいない。」
13 「彼らののどは、開いた墓穴である。彼らは、彼らの舌で人をだましていた。」「まむしの毒が、彼らのくちびるの下にある。」
14 「彼らの口は、呪いや苦々しさで満ちている。」
15 「彼らの足は、血を流すことに速い。
16 彼らの道には、破壊と悲惨がある。
17 また、彼らは平和の道が分からなかった。」
18 「神への恐れは彼らの眼前にはない。」
19 しかし律法が言っていることは、律法の下にいる者たちに対して言われていると、私たちは知っています。それは、すべての口は、沈黙させられ、全世界が神に対して有罪になるためです。
20 ゆえに、神の御前に、律法の行ないによって、肉なる者はだれも義と認められることがありません。なぜなら、罪の知識は、律法を通してです。
21 しかし今、律法以外に、神の義が明らかにされています。このことは、律法と預言者たちによって証されています。
22 この義は、イエス・キリストにおける信仰によるものであり、すべての人たちに、また信じるすべての人たちの上にあります。なぜなら、そこには差別がないからです。
23 なぜなら、すべての者は罪を犯したことがあるから、神の栄光にとどかないのです。
24 その方の恵みにより、代価なしで、イエス・キリストにあるあがないを通して義と認められます。
25 それは、神は忍耐をもって今まで犯されてきた罪を見逃されてきました。しかし、ご自身の義を明らかにするため、キリストの血に対する信仰によって、キリストをなだめの供え物とされたのです。
26 これは正に今の時に、神ご自身が義であり、そしてイエスに対する信仰を持つ人を義と認められるために、神は自らご自分の義を証明するためです。
27 では、誇ることはどこですか。もう取り除かれました。どの律法を通してですか。行ないの律法か。そうではありません。ただ、信仰の律法を通してです。
28 ですから、私たちは、人は律法の行ないなしに、信仰によって義と計算される、との結論に達しました。
29 神はユダヤ人だけの神であられますか。異邦人の神ではないのですか。はい、異邦人の神でもあられます。
30 なぜなら、神は唯一であり、神は割礼者を、信仰によって義と認められ、また割礼を受けていない者も信仰を通して義と認められるのです。
31 それでは、私たちは信仰を通して律法を台無しにするのですか。断じて違います。それどころか我々は律法を堅くする者なのです。

4章

では、私たちの父祖アブラハムは、肉において何を見付けたと言えばいいですか。
2 というのは、もしアブラハムは行ないによって義と認められたとするならば、彼は誇りを持つことができます。しかし、神の御前では誇ることはできません。
3 なぜなら、聖書は次のように言っているではありませんか。「アブラハムは神を信じた。そして、神はそれを彼にとって義と計算された。」
4 しかし、働く人には、報酬は恵みによって計算されるものではなく、借りたもののように、計算されています。
5 しかし、働かないで、神を敬わない人を義と計算される方を信じる人の信仰は、義と計算されています。
6 ダビデも、行ないなしで、神に義と計算された人の幸せを、まったく同じように語りました。
7 「不法な行為が、赦され、罪を覆われた人たちは、幸せである。
8 主が決して罪を計算されない人は、幸せである。」
9 ところで、この幸せは割礼者の上に来るのですか、あるいは、無割礼者の上にも来るのですか。と言うのは、「アブラハムにとって、彼の信仰は義と計算された。」と私たちは言うからです。
10 ですから、どういうふうに計算されたのですか。割礼の状態でしょうか、それとも無割礼の状態でしょうか。割礼の時ではなく、無割礼の時でした。
11 そして、アブラハムは割礼のしるしを受けました。それは、無割礼の時に持っていた信仰の義の証印でした。これは、無割礼で信じているすべての人の父祖とアブラハムがされるためであり、彼らも義と計算されるためです。
12 そして、アブラハムは割礼者だけの割礼の父祖ではなく、無割礼のままであった、私たちの父祖アブラハムの信仰の足跡を歩む者たちの割礼の父でもあります。
13 なぜなら、世界の相続人になるという約束が、アブラハム、またはその種に来たのは、律法を通してではなく、信仰の義を通してでした。
14 なぜなら、もし律法から出る人たちが相続人であったなら、信仰はむなしくされて、約束は無効にされてしまいます。
15 なぜなら、律法は怒りを生じます。また、律法がないところに律法の違反もありません。
16 このゆえに、律法の人だけではなく、私たち全員の父祖であるアブラハムの信仰から来る人にも、父祖アブラハムのすべての種への確かな約束であるために、恵みにより、信仰から出たのです。
17 「わたしはあなたを多くの国の父祖に任じた。」と書いてあるように、アブラハムが信じた方の御前に、すなわち死人に命を与える方、存在しない人を存在するようにお呼びになる神です。
18 アブラハムは、「あなたの種はそうなる。」と告げられ、信じがたいことでありながら、希望を持って信じたがゆえに、多くの国々の父祖となりました。
19 そして、およそ百歳で自分の体がもう無能になっていること、またサラの胎が死んでいることを考えもせず、彼の信仰は弱くならなかったのです。
20 また、彼は神の約束を不信仰のゆえ疑うことなく、むしろ信仰によって力づけられ、神に栄光を捧げたのです。
21 また、神は約束されたことを果たすことを、アブラハムは十分に確信していました。
22 だからこそ、「そのことが彼の義と計算された。」
23 しかし、神がアブラアムを「義と計算された」、と言うことは、アブラハムだけのために書かれたのではありません。
24 また、私たちの主イエスを死人たちの中から復活させた方を、信じている私たち、それにこれから計算される私たちのためにも義となります。
25 この方は、私たちの悪業のために渡され、私たちが義と認められるために復活させられたのです。

5章

こういうわけで、私たちは信仰によって義と認められたので、主イエス・キリストを通して、神との平和を持っています。
2 またこの方を通して、信仰によって私たちが立ってきたこの恵みの中に入ることを得たのです。そして、私たちは神の栄光の希望を誇るのです。
3 しかし、それだけではなく、また私たちは苦難の中で誇ります。なぜなら、苦しみが忍耐を生じることを知っているからです。
4 また、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、
5 その希望は、恥をかかせないことを知っています。なぜなら、私たちに与えられた聖霊を通して、神の愛が、私たちの心に注がれているからです。
6 なぜなら、私たちが弱かった時に、キリストは定められた時に、神を敬わない人たちのために死んでくださったのです。
7 なぜなら、正しい人のために死ぬ人はまれにはいます。また、善人のために、死に挑む人がいるでしょう。
8 しかし、私たちがまだ罪人であった時、キリストは私たちのために死んでくださり、それによって、神は私たちにご自分の愛を示してくださっておられます。
9 ゆえに、今その方の血によって義と認められている私たちは、なおさらのこと、その方を通して、怒りからも救われるのです。
10 したがって、私たちが敵でありながら、神の御子息の死を通して、神と和解することができたのなら、なおさらのこと、御子息の命によって、和解した私たちは救われます。
11 しかし、それだけではなく、私たちの主イエス・キリストを通して、私たちは神を誇りに思っています。今、キリストを通して和解を受け入れたのです。
12 したがって、罪が一人の人間を通して世に入ったように、また死もその罪を通して入りました。そして同じくすべての人が罪を犯したので、死はすべての人に入りました。
13 というのは、律法の時代以前にも、罪は世にありました。しかし、律法がない時は、罪の請求はされません。
14 しかし、死はアダムからモーセまで、アダムと同じ形で命令に服従しなかったことで罪を犯した人たちをも支配しました。アダムは来られる方の見本です。
15 しかし恵みの賜物は、この悪業と同じではありません。なぜなら、一人の人間の悪業を通して、大勢の人たちが死んだとしたら、神の恵みと、一人の人間、イエス・キリストによる恵みを通しての賜物は、なおさらのこと、大勢の人たちに満ち溢れたのです。
16 そして、この賜物は、罪を犯した一人の人間によるのではありません。なぜなら、裁きは一人の人間によって罰に至るが、この恵みの賜物は、数多くの悪業が正しい行ないに至るのです。
17 なぜなら、一人の人間の悪業によって、一人の人間を通して死が支配したとしたら、なおさらのこと、多くの恵みと義の賜物を受ける人たちは、一人の方、つまりイエス・キリストを通して命をもって支配します。
18 したがって、一人の人間の悪業を通して、罰はすべての人間に及んだと同じように、一人の人間の義を通して、正しい命に至る義がすべての人間に及んだのです。
19 なぜなら、ちょうど一人の人間の不従順を通して、大勢の人たちが罪人とされたと同様に、一人の人間の従順を通して大勢の人たちが義人とされるのです。
20 また、悪業が盛んになるために、律法がこっそり忍び込んできました。しかし、罪が盛んになった場所では、それ以上に恵みは溢れ出しました。
21 これは、罪が死によって支配するようになったと同じように、私たちの主イエス・キリストを通して、私たちが永遠の命に至るように、恵みが義を通して支配するためです。

6章

では、どう言えばいいでしょうか。私たちは、恵みが豊かになるように、罪の中にとどまりましょうか。
2 断じて違います。罪に対して死んだ私たちが、どういう訳で、まだ罪によって生きると言うのですか。
3 キリスト・イエスにかかわる浸礼を受けた私たち一人一人は、キリストの死にかかわる浸礼を受けたことを、知らないのですか。
4 ですから、キリストが、父の栄光によって、死人たちの中から復活させられたと同じように、私たちはキリストとともに、浸礼によって葬られたのです。それは私たちも、新しくされた命にあって歩むためです。
5 なぜなら、もし私たちの死が、その方の死と同じ形で、共に発芽したのなら、またその方の復活の形にも預かるのです。
6 もとの私たちは、イエスと共に十字架につけられたことを、私たちは知っています。それは、私たちがもう罪に仕えないために、罪の体が破壊されるためです。
7 なぜなら、死んだ者は、罪から解放されているからです。
8 それで、私たちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることも私たちは信じています。
9 死人たちの中から復活されたキリストは、もう死ぬことはないと知っているからです。死はもうその方を支配していないのです。
10 キリストが死なれたと言うのは、罪に対して一度死なれたのであり、生きていると言うことは、神に対して生きているのです。
11 また、同様に、あなたがたも、罪に対しては死んでいると自分を計算しなさい。そして、神に対しては、私たちの主キリスト・イエスによって生きていると自ら計算しなさい。
12 ゆえに、その欲望に関する罪に聞き従わないために、死を免れないあなたがたの体を、罪に支配させてはいけません。
13 そして、あなたがたの体の各部を、罪の道具として不義に委ねてはいけません。むしろ、死人たちの中から生かされた人として、あなたがた自身を神に委ね、自分の体の各部を義の道具として神に捧げなさい。
14 なぜなら、罪はあなたがたを支配しません。それは、あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるからです。
15 それで、私たちは律法の下ではなく、恵みの下にいるので、罪を犯そうというのですか。断じて違います。
16 知らないのですか。つまり、あなたがたは、自分が奴隷として聞き従うために、自らを委ねる者の奴隷になります。罪であったら死に対して奴隷であり、従順であったら義に対して奴隷です。
17 しかし、あなたがたは罪に対して奴隷でしたが、伝えられた教えの鋳型に心から聞き従ったことを、神に感謝します。
18 そして、あなたがたは、罪から自由にされ、義の奴隷となったのです。
19 私は、あなたがたの肉の弱さのために、人間的に話しています。なぜなら、あなたがたは体の各部を、汚れと不法に奴隷として身をまかせ、不法に進んだことがあるように、今度は、聖さに進んで、あなたがたの体の各部を、義に奴隷としてまかせなさい。
20 なぜなら、あなたがたは罪の奴隷であった時、義から自由でした。
21 では、あなたがたは今、はずかしいと思っていることから、何の実を得ましたか。なぜなら、それらのことの行き着くところは死です。
22 しかし今は、罪から自由にされ、神に対して奴隷となったあなたがたは、聖さに至る実を持ち、行き着くところは永遠の命です。
23 なぜなら、罪の報酬は死ですが、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命です。

7章

また、兄弟たちよ、私は律法を知っている人に話しているのですが、律法が人を支配するのは、生きている間だけなのを知らないのですか。
2 なぜなら、夫を持つ女は、夫が生きている間は、律法によって夫に縛られているが、夫が死ねば、妻は夫の律法から解き放たれます。
3 では、もし夫が生きている間に、彼女は他の男の妻になれば、姦淫の女と呼ばれます。しかし、もし夫が死ねば、彼女は律法から自由です。したがって、他の男に結ばれても、姦淫の女とはなりません。
4 私の兄弟たちよ。そう言う訳で、あなたがたもキリストの体を通して、律法に対して死人となっています。これは、私たちが神のために実を結ぶように、死人の中からよみがえられた、もう一人の別の方に、あなたがたが結ばれるためです。
5 なぜなら、私たちが肉にあったとき、律法による罪の情熱は、死に至る実を結ぶために、私たちの体の各部で働いていました。
6 それで今、私たちは縛られていたものに対して、死んでいるのですから、律法から私たちは自由になりました。これは、私たちが文字の古さによらず、霊の新しさによって仕えるためです。
7 ゆえに、私たちはどう言えばいいでしょうか。律法は罪でしょうか。断じて違います。しかし、律法を通してではなければ、罪を知らなかったでしょう。なぜなら、律法が「むさぼってはいけない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知ることはなかったでしょう。
8 しかし、罪はすきに乗じ戒めを通して、私の中にすべての欲望を作り出しました。なぜなら、律法なしでは、罪は死んでいるからです。
9 昔、私は律法なしで生きていたのです。でも、戒めが来た時、罪は生き返り、私自身が死んだのです。
10 そして、私は命をもたらす戒めが、死をもたらす、と言うことが分かりました。
11 ゆえに、罪は戒めを通してすきに乗じて私をだまし、戒めを通して私を殺しました。
12 実にこのように、律法は聖なるものです。戒めも聖であり、正しく、善なるものです。
13 では、私にとって善いものが、死になったのですか。断じて違います。でも、罪は罪として現れるために、私にとって良いものを通して、罪は私に死を作り出しました。それは、罪は戒めを通して極端に罪深くなるためでした。
14 なぜなら、私たちは、律法が霊的であることを知っています。しかし、私自身は肉に属し、罪の下に売られています。
15 ゆえに、私は、自分が行なっていることがわかりません。なぜなら、私は望むことをせず、忌み嫌うことをしてしまいます。
16 では、もし私は自分は望まないことをしているのなら、律法は善であると賛成します。
17 しかし今は、もはや行なうのは私ではなく、私の中に住み着いている罪なのです。
18 ゆえに、私は自分の中に、つまり私の肉の中に、何も良いものは住み着いていないことを知っています。なぜなら、決断する意思は私の中にあるが、善なることを行なう方法を見いだせないのです。
19 なぜなら、私が望む良いことを、私はしないが、望まない悪、そのことをなしてしまうのです。
20 しかし、私が自分が望まないことを、もしなしてしまったら、それはもう私自身が行なっているのではなく、私の中に住み着いている罪がなしたのです。
21 したがって、悪は、善を行なおうとしている私と共にある、と言う律法があるのを見いだしました。
22 なぜなら、私の中にいる私自身は、神の律法を喜ぶけれど、
23 もう一つの律法が、私の体の各部にあるのがわかります。その律法は私の知力の律法と戦って、私の体の各部にある罪の律法で、私をとらわれ人にしてしまいます。
24 私は何と浅ましい人間でしょう。誰が私をこの死の体から救い出してくれるのですか。
25 私は、私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。それでは、結論として、私自身は、知力では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えています。

8章

ところが、肉によってではなく、キリスト・イエスにあって御霊によって歩む人たちに対して、もう処罰されることはありません。
2 というのは、キリスト・イエスにある命の御霊の律法は、私を罪と死の律法から解き放ったのです。
3 なぜなら、肉を通して弱かったところ、また律法がなしとげることができなかったところを、神は罪のために、ご自分の御子息を罪深い肉と同じような姿でお遣わしになる、その肉にある罪に有罪の判決をくださいました。
4 これは、肉によってではなく、御霊によって歩む私たちの中に、律法の正当な要求が満たされるためです。
5 なぜなら、肉による人たちは、肉のことを心にとめ、御霊による人たちは、御霊のことを心にとめます。
6 なぜなら、肉が思うことは死ですが、霊が思うことは命と平安です。
7 なぜなら、肉が思うことは、神に敵対するものです。それは、肉が思うことは神の律法に従わず、かつ従い得ないからです。
8 また、肉にある人たちは、神を喜ばすことができません。
9 しかし、神の御霊があなたがたのうちに本当に住んでおられるなら、あなたがたは肉にある人ではなく、御霊にある人です。たとえ誰であろうと、キリストの御霊を持っていない人がいたら、その人はキリストの人ではありません。
10 また、キリストがあなたがたの中におられるなら、罪ゆえに体は死んでいるが、御霊は義ゆえに命であられます。
11 しかし、イエスを死人たちの中から復活させた方の御霊が、あなたがたのうちに宿っているなら、キリストを死人たちの中から復活させた方が、あなたがたの内に宿るご自身の御霊を通して、あなたがたの死ぬことになっている体を生かしてくださるのです。
12 ですから、兄弟たちよ。私たちは債務があるが、肉に対してではありません。ゆえに肉に従って生きる必要のない者です。
13 なぜなら、もし肉に従って生きるのなら、あなたがたは死ぬが、もし御霊によって体の行ないを殺したら、あなたがたは生きるのです。
14 というのは、神の御霊に導かれている人たちはすべて、神の子どもです。
15 なぜなら、あなたがたを再び恐怖に陥らせる奴隷の状態の霊を受けたのではなく、養子の御霊を受け、その御霊によって「アバ、父よ」と私たちが叫ぶのです。
16 御霊ご自身が、私たちの霊と共に、私たちが神の子どもであることの証をしておられます。
17 また、もし子どもであったら、相続人、つまり神の相続人であり、キリストと共に相続人です。これには、もし私たちが、キリストと共に栄光を受けるために、キリストと共に苦しむのなら、と言う条件があります。
18 しかし、私たちにこれから現れる栄光に比べれば、現在のこの苦しみは比較に価しない、と私は計算します。
19 それで、被造物の切なる望みは、神の子どもたちの出現を熱心に待つのです。
20 なぜなら、被造物は、むなしさの下の位に置かれたが、これは、自分の意志によらず、従わせた方の希望のゆえです。
21 なぜなら、同じ被造物は、腐り果てた奴隷の状態から、神の子どもの栄光ある自由へと解放されます。
22 というのは、被造物はすべて、今まで同様、ともにうめき、またともに産みの苦しみが続くことを、私たちは知っているからです。
23 それだけではなく、御霊の最初の収穫物を持つ私たちでさえも、自ら、自分たちの中で嘆き、養子にされること、つまり私たちの体のあがないを待ち望んでいます。
24 ゆえに、私たちはこの希望によって救われたのです。しかし、目に見える希望は希望ではないのです。なぜなら、人は見ているものを、それでもまだ望むのでしょうか。
25 しかし、もし私たちは見ていないものを望んでいるなら、忍耐をもって待ち望みます。
26 同じように、御霊も私たちの弱さを助けてくださいます。なぜなら、祈るべき言葉さえ知らない私たちに代わって、御霊ご自身が私たちのために、言葉にならない嘆きの声で、私たちに代わってとりなしてくださいます。
27 また、心を調べる方は、御霊の考えを知っておられます。なぜなら、神によって聖徒たちのために、御霊は弁護してくださるからです。
28 神を愛する人たち、つまり、神のご意志によって召された人たちのために、神はすべてのことをともに働かせて益にすると、私たちは知っています。
29 なぜなら、神はあらかじめご存知であった人を、ご自分の御子息の姿と同じになるよう、あらかじめ定められました。これは、多くの兄弟たちの中で、御子息が最初に生まれた子とするためです。
30 また、神はあらかじめ定めた人たちを召され、そして召された人たちを義と認められ、義と認められた人たちに栄光をも与えられました。
31 では、これらのことに対して私たちはどう言えばいいのでしょうか。もし神が私たちの側なら、だれが対抗しますか。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子息を惜しまずに渡された方が、どうして御子息に加えて、私たちにすべてのものをも豊かにくださらないことがありましょうか。
33 誰が神の選ばれた者たちを訴えるのですか。義と認められるのは神です。
34 有罪判決を下す方は誰でしょうか。死なれ、なお、復活されたキリストが、今神の右手におられ、さらに私たちのために弁護をしてくださっています。
35 誰がキリストの愛から私たちを離れさせますか。艱難か、苦しみか、迫害か、飢饉か、裸か、危険か、あるいは剣ですか。
36 「私たちは、あなたのために一日中殺されている。屠殺のための羊として数えられている。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、これらすべてのことにおいて、私たちを愛してくださった方を通して、私たちは戦いを制覇した者以上の者です。
38 そこで、私は確信しています。死も、命も、使いたちも1、権威あるものたちも、力強いものたちも、現在あるものたちも、来るべきものたちも、
39 高いものも、深いものも、その他どのようなつくられたものも、私たちを私たちの主、キリスト・イエスにある神の愛から離すことはできないのです。

9章

私はキリストにあって真実を言い、うそは言っていません。聖霊にあって私の良心も私とともに証をしています。
2 その証とは、私の苦しみは激しく、また私の心の痛みも果てしない、と言うことです。
3 なぜなら、私の兄弟たちのため、肉による私の同国民のため、代りとなって、私自身がキリストから呪われるようにと願うほどです。
4 その同国民とは、イスラエル人です。彼らには、養子にされること、栄光と諸契約と律法の授与と奉仕、それに約束があります。
5 父祖たちもイスラエル人です。そして、キリストは肉によっては彼らから来られました。この方は万物の上におられ、永遠に祝福されている神であられます。アーメン。
6 これは、神の御言葉が力を失ってしまったと言うことではありません。イスラエル出身のすべての人たちが、イスラエル人ではないからです。
7 そして、アブラハムの種であるからといって、彼らすべてがアブラハムの子らではありません。しかし、「イサクによって、あなたの種と呼ばれる。」
8 つまり、肉の子どもである彼らは、神の子どもではなく、この約束の子どもたちは、種として数えられています。
9 なぜなら、これが約束の言葉なのです。「この時に、私は来る。そしてサラは男の子を産む。」
10 これだけではなく、レベカもあの人、つまり私たちの父祖イサクによって身ごもった時、
11 (なぜなら、その子どもたちはまだ生まれておらず、まだ善も悪も行なっていないのに、選びによる神のご意志が永久に有効であるためです。つまり、行ないによらずに、お呼びになる方によります。)
12 そのため、「兄は弟に仕える。」と彼女に告げたのです。
13 「わたしはヤコブを愛したが、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
14 では、どう言えばいいでしょうか。神に不義がありましょうか。断じて違います。
15 なぜなら、神はモーセに言われました。「わたしは、誰であれわたしが憐れもうとする者を憐れみ、誰であれわたしが思いやろうとする者を思いやる。」
16 したがって決意する人からではなく、走る人からでもなく、憐れみを施す神からです。
17 なぜなら、聖書はファラオに言います。「このためにこそ、わたしは、お前を立てた。つまり、わたしはわたしの力をお前において示し、またわたしの名が全世界に広く宣言されるためである。」
18 ですから、神は憐れむとされた人を憐れみ、強情にするとされた人を強情にします。
19 それで、あなたは私に言うでしょう。「神はまだ誰のあらさがしをなさるのですか。ということは、御心に反抗する者がいたのですか。」
20 いいえ。ああ人よ、それどころか、神に口答えするあなたは、何様のつもりなのか。形づくられたものは、形づくる方に、「なぜ私をこう造ったのか。」と言いますか。
21 陶工は、同じ粘土のかたまりから、一つの器を名誉を意味するために、もう一つを不名誉を意味するためにつくる権威を、粘土に対して持っていないのですか。
22 もし神が、ご自分の怒りを現し、ご自分の力を知らせることを決めたがゆえに、豊かな寛容をもって長く破壊のために整えられた器を忍ばれたならどうですか。
23 そして、このことは栄光へ至るために、あらかじめ準備した、憐れみの器の上に、ご自分の栄光の豊かさをのせて知らせるためであるならどうでしょう。
24 これはまた、神はユダヤ人の中から召されただけではなく、異邦人の中から召された私たちでもあります。
25 また、ホセアの中で、「わたしの国民ではない国民を、わたしの国民と呼び、愛されていない女を、愛する人と呼ぶ。」と神が言うとおりです。
26 そして、「あなたがたは、わたしの国民ではない。」と言われた所で、そこで彼らは生ける神の子どもたちと呼ばれることになります。
27 イザヤもイスラエルについて叫んでいます。「イスラエルの子らが、海の砂の数ほどいても、残った者たちは救われるのです。
28 したがって、主は働きを終え、義によってその働きを縮められる。なぜなら、主は地上で縮めた働きを実行される。」
29 そして、イザヤが以前に言ったと同じく、「もし万軍の主が、私たちに種を残さなかったなら、私たちはソドムのようになり、あるいはゴモラのようにされたであろう。」
30 ゆえに、どう言えばいいでしょうか。義を追い求めなかった異邦人たちは、義を、つまり信仰からの義を得た、と言うことです。
31 しかし、義の律法を追い求めたイスラエルは、義の律法に到達しませんでした。
32 なぜでしょうか。彼らは義の律法を信仰からではなく、律法の行ないをもって追い求めたからです。つまり、彼らはつまずく石につまずいたのです。
33 「見よ。わたしは、シオンにつまずきの石、また妨げの岩を置く。そして、すべてこの方を信じる人は、辱めは受けない。」と書いてあるとおりです。

10章

兄弟たちよ、私の心の希望、また神に対してイスラエルのための願いは、彼らが救われることです。
2 なぜなら、彼らは神への熱心さを持っているが、それは知識に従ったものではないことを、私は証言します。
3 なぜなら、彼らは、神の義に関して何も知らず、また自分自身の義を確立しようとしたから、神の義に屈服しなかったのです。
4 キリストは、信じる人すべてにとって、義に至る律法の究極であられるからです。
5 なぜなら、モーセは、「律法の事柄を行なう人は、それらによって生きる。」と律法から出る義のことを書いています。
6 しかし、信仰から来る義は、このように言っています。「『誰が天国に上るか。』と心の中で言ってはいけない。」(これは、キリストを引き下すためです。)
7 または、「誰が底なしの所の中に下るか。」(つまり、死人たちの中からキリストを連れて上るために、と言うことです。)
8 しかし、それは何を言っていますか。「御言葉はあなたに近く、あなたの口の中に、そしてあなたの心の中にある。」それは、私たちが説く信仰の言葉です。
9 つまり、もしあなたの口で主イエスを言い表し、心の中で神がイエスを死人たちの中から復活させたと信じれば、あなたは救われます。
10 なぜなら、人は、義に至るために心で信じ、救いに至るまで口で言い表すのです。
11 なぜなら、「すべて主を信じる人は、辱めを受けることはない。」と聖書は言っています。
12 なぜなら、ユダヤ人とギリシャ人の間には、違いはありません。なぜなら、同じ主はすべての主でありながら、主を呼び求めるすべての人たちに対して、豊かでおられます。
13 それは、「すべて主の御名を呼び求める者は救われる。」からです。
14 ところで、信じたことのない方を、どうすれば呼び求めることができるでしょうか。また、聞いたこともない方を、どうすれば信じ得ましょうか。また、説く人がいなくては、どうすれば聞くことができましょうか。
15 そして、誰も遣わされなければ、どうすれば説くのですか。「平和の福音を伝道し、よいことの福音を伝道する人たちの足は、なんと麗しいことか。」と書いてあるとおりです。
16 しかし、すべての人たちは、福音に従ったわけはありません。なぜなら、「主よ、誰が私たちの知らせを信じたか。」とイザヤが言っています。
17 このように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは神の御言葉を通してきます。
18 しかし、私は言います。「彼らは聞かなかったのか。」確かに聞いています。「彼らの声は全世界になりわたり、彼らの言葉は地の果てまで到達したのである。」
19 しかし、私は言います。まさかイスラエルは知らなかったと言うのですか。「私は、国民でない人たちで、あなたがたをねたませ、愚かな国であなたがたを怒らせる。」とモーセは最初に言いました。
20 しかし、イザヤは非常に大胆になり、「わたしは、わたしを捜さなかった人たちに見つけられた。わたしは、わたしを訪ねなかった人たちに、わたしの姿が現れた。」と言っています。
21 しかし、イザヤはイスラエルに、「不従順で反発を言う国民に、わたしは一日中、両手を伸ばした。」と言っています。

11章

それでは、私は言います。神は、ご自分の国民を捨て去られたのですか。断じて違います。なぜなら、私自身もアブラハムの種で、ベニヤミン族のイスラエル人です。
2 神は、あらかじめ知っておられた、ご自分の国民を捨て去られたのではありません。聖書がエリヤについて言っていることを、あなたがたは知らないのですか。彼は神にイスラエルを訴えて、こう言っています。
3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を破壊した。私一人が残され、彼らはその私の命を狙っている。」
4 しかし、主の御告げは、彼に何と言っていますか。「私は私自身のために、バアルにひざまずいたことのない七千人の男を残しておいた。」
5 従って、それと同じように、今この時点でも、恵みの選びによって残る人たちがいます。
6 それで、もし選びが恵みによるなら、それはすでに行
7 では、何でしょうか。イスラエルは、探し求めているものを得ませんでした。しかし、選ばれた者は得たが、他の者たちは盲目にされました。
8 それは書いてあるとおりです。「神はこの日に至るまで、彼らに眠りの霊、見えない目、また聞こえない耳を与えられた。」
9 また、ダビデが言っています。「彼らの食卓は罠に、捕獲網に、つまずきに、また彼らに天罰となるように。
10 彼らの目は、暗くされ、見えなくなり、また彼らの背中が常に曲がっているように。」
11 それでは、私は言います。イスラエルは倒れるほどつまずいたのでしょうか。断じて違います。むしろ、その転倒によって、彼らがねたむようにと、救いは異邦人たちに及んだのです。
12 もし彼らの転倒は世の富、また彼らの衰えは異邦人たちの富となるなら、彼らの満ちていることは、なおさらのことです。
13 なぜなら、私はあなたがた異邦人に言います。私は異邦人への使徒であるから、私としては、自分の務めを名誉と思っています。
14 もし私は何とかして、私の肉に属するものをねたませて、そのうちから幾人かでも救えたらとさえ願っています。
15 なぜなら、イスラエルの見捨てられることが世の和解であるなら、もし死人の中からの命はなければ、彼らの加入は、何なのでしょうか。
16 そして、もし最初の収穫物が聖なるものなら、そのかたまりも聖なるものです。そして、もし根が聖なるものなら、その枝も聖なるものです。
17 しかし、もし何本か枝がもぎ取られ、野生のオリーブの木であるあなたが、彼らの中へ接木され、そのオリーブの木の根と豊かさの共有者になったとしたら、
18 あの枝に向かって誇ってはいけません。しかし、もし誇ったとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。
19 すると、「私を接木するために、あの枝はもぎ取られました。」とあなたは言うでしょう。
20 そのとおりです。不信仰のゆえに彼らはもぎ取られたが、あなたは信仰によって立ってきています。高慢にならず、恐れなさい。
21 なぜなら、もし神は自然の枝を惜しまなかったなら、あなたをも惜しまなかったかも知れないと、心に留めておきなさい。
22 ですから、神の慈愛と厳しさを考えなさい。堕落した者たちの上に厳しさがあるが、もしあなたが神の慈愛にとどまれば、あなたの上に慈愛がとどまります。しかし、そうでないと、あなたも切り捨てられます。
23 そして、もし不信仰にとどまらなければ、彼らも接木されます。なぜなら、神は彼らを再び接ぎなおすことができるからです。
24 なぜなら、もしあなたが自然に生えた野生のオリーブの木から切り取られ、果樹園のオリーブの木に不自然につながれたのなら、なおさらのこと、あれら自然に生えた良い枝は、自分のオリーブの木に接木されるのではありませんか。
25 なぜなら、兄弟たちよ、あなたがたが自らを利口にすることなく、この奥義について無知であってほしくありません。この奥義とは、異邦人の満ちる時まで、イスラエルの一部は盲目になったのです。
26 こうして、書いてあるとおりに、全イスラエルは救われます。「救い出す方は、シオンから出て、そしてその方はヤコブから不敬虔を遠ざける。
27 そして、これはわたしから彼らへの契約であり、わたしが彼らの罪を取り去る時であろう。」
28 福音に関して、あなたがたが理由で、彼らは敵ですが、選びに関しては、父祖たちが理由で愛されています。
29 神の賜物と召命には、変更はないからです。
30 なぜなら、あなたがたも以前は神を信頼しなかったが、今はイスラエルの不信仰によって憐れみを受けたように、
31 同様に、今、この人たちが神を信頼しない理由は、あなたがたの憐れみを通して、彼らが憐れみを受けるためです。
32 なぜなら、神はすべての者を憐れむために、すべての者を不信仰の中へ、共に閉じ込められたのです。
33 ああ、神の知恵と知識の豊かさは何と深遠なもの!神の裁きは測れません。神の数ある道は、後をつけることもできません。
34 「それで、誰が主の知力を知っていたのか。または、誰が主の助言者になったのか。
35 または、誰が事前に主にさしあげて、お返しをもらうのか。」
36 それでは、すべてのものは、主から、主を通して、主へ。栄光が永遠に主にありますように。アーメン。

12章

では、兄弟たちよ。あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる生きた供え物として供えるように、神の憐れみを通して私は強く勧めます。これがあなたがたの理にかなった奉仕です。
2 そして、この世に迎合してはいけません。むしろ、あなたがたの考え方を一新によって、神の良い、好ましい、完全な御意志を確認できるように、今までと違った人になりなさい。
3 なぜなら、私に与えられた恵みを通して、あなたがたの中の一人一人に言います。考えるべき以上のことを考えてはいけません。しかし、神は各自に信仰の程度を測って与えられたように、健全な心で考えなさい。
4 というのは、私たちは一つの体に多くの部分を持っているが、体のすべての部分は同じ働きを持っていないというのと、ちょうど同じように、
5 私たちは数が多くても、キリストにあっては一つの体です。そして各自はお互いに体の一部なのです。
6 こうして、与えられた恵みによって異なっている賜物を私たちは持っているので、その賜物が預言の場合、信仰の度合いに応じて預言しましょう。
7 奉仕の場合は奉仕を行ない、教える人は教え、
8 勧める人は勧めを行ない、分け与える人は惜しまず分け与えましょう。指導する人は熱心に、憐れむ人はよろこんで憐れみましょう。
9 見せかけのない愛をしなさい。悪を憎んで、善に執着しなさい。
10 兄弟愛によって互いに親しみ、礼を尽くして互いに相手を上位としなさい。
11 怠けず勤勉に、霊において熱心に、主に仕えなさい。
12 希望によって喜び、苦難によって忍耐深く、祈りに励み、
13 聖徒たちの必要に応じて与え、もてなしを追い求めなさい。
14 あなたがたを迫害する人たちを祝福しなさい。祝福して、呪ってはいけません。
15 喜んでいる人たちと共に喜び、泣いている人たちと共に泣きなさい。
16 互いに同じ考えを持ちなさい。高ぶった考えをせず、かえって低い人たちにあわせなさい。自分自ら知恵のある者になったと思ってはいけません。
17 どんな人にも悪に対して悪を返してはいけません。すべての人の前で、良いことを行なうように備えなさい。
18 もしできたら、あなたがたにかかわることである限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する人たちよ、自らのために復讐せず、むしろ、復讐は怒りの場所に置きなさい。「『復讐はわたしのものであり、わたしが返す。』と主が言う。」と書いてあるからです。
20 「ゆえに、もしあなたの敵が、空腹であれば、食べさせなさい。もし喉が渇いていれば、飲ませなさい。そうすれば、あなたは彼の頭に燃えさかる石炭を積むことになるからである。」
21 悪に打ち負かされず、善をもって悪を打ち負かしなさい。

13章

すべてのたましいは、上位の権威の支配を受けるべきです。なぜなら、神からではない権威はなく、今ある権威は神によって定められたのです。
2 ゆえに、権威ある人に抵抗する者は、神のその決定に反抗するのです。それで、反抗している者たちは裁きを受けます。
3 なぜなら、支配者たちは、善なる行ないに対しての恐れはなく、悪なる行ないに対しての恐れがあります。それなのに、あなたは権威を恐れないのですか。善を行ないなさい。そうすれば、同じ権威ある人から賛辞をもらいます。
4 なぜなら、彼は善のための、あなたに対する神の奉仕者です。もし悪事をすれば、恐れなさい。権威ある人は無意味に剣を帯びているわけではないからです。なぜなら、彼は神の奉仕者であり、悪を行なう人には激怒にいたって復讐をする人です。
5 ですから、その激怒のためだけではなく、良心のためにも支配を受ける必要があります。
6 このために、あなたがたは税金を納めています。というのは、権威ある人たちはこのことにこそ常に従事している、神の奉仕者であるからです。
7 従って、すべての人に対して任務を遂行しなさい。つまり、税金の人には税金を納め、関税の人には関税を納め、恐れるべき人には恐れ、礼をつくすべき人には、礼をつくしなさい。
8 互いに愛し合うこと以外に、誰にも借りを持ってはいけません。なぜなら、他人を愛する人は律法を全うしているのです。
9 なぜなら、「姦淫をしてはいけない、殺人をしてはいけない、盗んではいけない、偽りの証言をしてはいけない、人のものをむやみに欲しがってはいけない」、またその他の命令でも、この言葉に要約されています。つまり、「自分自身のように、隣人を愛しなさい。」
10 愛は隣人に悪を行ないません。したがって、愛は律法の成就なのです。
11 そして私たちはこの時期を知って、これを行ないなさい。時期とは、もうすでに眠りからさめる時です。なぜなら、信じた時より、私たちの救いは今近づいているからです。
12 夜は過ぎ、日が近づきました。ですから、暗やみの行ないを脱ぎ捨て、光の武具を着ましょう。
13 昼であるようにつつましく歩みましょう。飲み会に出ず、酔わず、性的な罪や好色なことをせず、けんかやねたみをせず歩みなさい。
14 その上に、主イエス・キリストを身に付けなさい。そして、肉の欲望を満たすために、体を備えてはいけません。

14章

いろいろな意見に対して論争せず、信仰の弱い人を受け入れなさい。
2 ちょうど、すべての物は食べられると信じている人がいる一方、弱い人は野菜だけ食べています。
3 食べる人は、食べない人をさげすんではいけません。また、食べない人は、食べる人を裁いてはいけません。なぜなら、神はその人を受け入れてくださったからです。
4 他人の家の僕を裁くあなたは、何様か。彼は自分の主人のために立つか、倒れるかということです。しかし、彼は立てられています。なぜなら、神は彼を立たせることができるからです。
5 ある日はほかの日より大切であると評価する人もいるし、すべての日は同じであると評価する人もいます。皆一人一人、各自の知力で、確信に満ちているようにしなさい。
6 その日を大切であると考えている人は、主のために心にとめています。その日を大切ではないと考えている人は、その日を主のために大切ではないと考えています。食べる人は、神に感謝するから、主に対して食べています。そして、食べていない人は、主に対して食べていないが、神に感謝をしています。
7 なぜなら、私たちのうちの誰も自分のためだけに生きていないし、誰も自分のためだけに死ぬこともありません。
8 つまり、もし私たちは生きるのであれば、主に対して生きるのであり、もし死ぬのであれば、主に対して死ぬのです。したがって、たとえ生きようとも死のうとも、私たちは主のものなのです。
9 なぜなら、キリストは死んだ人も、生きている人も、両者を支配するために死なれ、復活され、生き返られたのです。
10 私たちは全員、キリストの裁きの座の前に立つのに、あなたはなぜ、あなたの兄弟を裁いたり、あなたの兄弟をさげすんだりするのですか。
11 なぜなら、「『わたし自身が生きる。』と主は言われる。『すべてのひざはわたしにひざまずき、すべての舌は神に声を出して言い表す。』」と書いてあります。
12 ですから、私たち一人一人、神に自分自身の言い開きをするのです。
13 そのために、私たちはもう互いに裁き合わないようにしなさい。その代わり、つまずく原因やつまずく物を兄弟の前に置かないように心を決めなさい。
14 何も、それ自体が汚いものはなく、もし誰かが何かを汚いものと考えているなら、その人にとって、それが汚いものです。私はそのことを知って、主イエスによって確信させられたのです。
15 しかし、あなたの兄弟があなたの食物を通して悲しんでいるなら、あなたはもう愛によって歩んではいません。キリストが死んでくださったその人を、あなたの食物で滅ぼしてはいけません。
16 ゆえに、あなたがたの善が侮辱されないようにしなさい。
17 なぜなら、神の王国は、食物や飲み物ではなく、義と平和と聖霊による喜びなのです。
18 ゆえに、これらのことで、キリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められています。
19 それで、そのために、平和に関する物事とお互いに自分たちを築き上げることを追い求めましょう。
20 食物のことで、神の働きを破壊してはいけません。すべてのものは、確かに清いのです。しかし、食べることが人につまずく原因になる人にとっては、それは悪です。
21 あなたの兄弟が転んだり、つまずいたり、弱ったりさせるものなら、肉を食べたり、葡萄液を飲んだりしないことは、良いことです。
22 あなたは、信仰を持っていますか。神の御前に自分だけでその信仰を保ちなさい。自分で許したことで、自分を責めない人は幸せです。
23 しかし、疑う人は信仰によって食べていないので、もし食べれば、有罪の判決を受けます。なぜなら、信仰から出ていないすべてのことは罪だからです。

15章

では、強い私たちは、自分自身を喜ばせずに、弱い人の弱点を支えるべきです。
2 それで、私たち一人一人は、隣人の人格を高めるために、その人たちを喜ばすべきです。
3 なぜなら、キリストでさえ、御自分を喜ばすことをなさらなかったからです。「あなたをそしる者のそしりが、私の上に降りかかった。」と書いてあるとおりです。
4 なぜなら、前もって書かれたことは、私たちの学びのために書かれたのです。御言葉の忍耐や勧めを通して、私たちが希望をもち続けることができるように書かれたのです。
5 さて、忍耐と守り慰めの神はキリスト・イエスによって、あなたがたもお互いに対して同じように考えることを、させてくださると望んでいます。
6 これは、心を一つにし、声を一つにし、私たちの主イエス・キリストの父である神に、栄光を捧げるためです。
7 ゆえに、キリストは、神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったと同様に、お互いに自分たちを受け入れなさい。
8 それで、私は言います。イエス・キリストは、父祖たちへの約束を確かなものにするため、神の真理のために、割礼者たちの奉仕者になられたのです。
9 また、異邦人も神の憐れみのゆえに、神を誉め讃えるためです。「私はこのために、異邦人の間で、あなたに声を出して言い表し、あなたの御名を歌う。」と書いてあるとおりです。
10 そして、彼は再び言います。「異邦人たちよ。神の民とともに喜べ。」
11 そしてまた、「すべての異邦人たちよ、主を賛美しなさい。また、すべての国民よ、主を誉め讃えなさい。」
12 そしてまた、イザヤは言います。「エッサイの根があり、また異邦人たちを支配するために立ち上がる方がいます。異邦人は、その方に希望を抱く。」
13 では、信じることにより、希望の神があなたがたを、すべての喜びと平和で満たしてくださいますように。これは、あなたがたが聖霊の力によって希望で豊かになりますように。
14 そして、私の兄弟たちよ、あなたがたは善意に満ち溢れ、あらゆる知識で満たされ、互いに忠告できることと、私自身はあなたがたについて確信しています。
15 しかし、兄弟たちよ、ある部分を大胆に書いたのは、神が私に与えられた恵みにより、あなたがたに思い出してもらうためです。
16 それは、私は、異邦人に向けてイエス・キリストの奉仕者として、福音のために祭司の勤めをするのは、聖霊によって聖別された、異邦人である捧げ物が、神に受け入れられるようになるためです。
17 ですから、神に関する物事では、イエス・キリストにあって、私は誇りを持っています。
18 キリストが私を通して、言葉と業によって異邦人の従順のために、なされたこと以外は、私は絶対に話そうとは思いません。
19 私は、エルサレムから回って、イルリコに至るまで、力あるしるしと不思議な業により、そして神の御霊の力により、キリストの福音を完全に説いてきました。
20 こうして、私は、他人の土台の上に建てることがないように、キリストの御名が呼ばれたことのない所で、このように奮闘して福音を説くことに努めています。
21 しかし、「彼について教えられたことのない人たちは見て、聞いたことのない人たちは理解する。」と書いてあるとおりです。
22 この理由で、私はあなたがたの所に行くのに、とても妨害されていました。
23 しかし、今これらの地域にはもう私の場所はありません。そして長年あなたがたの所に行くことを熱望してきたので、
24 もしスペインに行くとすれば、あなたがたの所に行くでしょう。なぜなら、旅行の途中であなたがたに会うことを望んでいるからです。そしてまず、いくらかでも、共に喜びを分かち合えば、その後、スペインに送り出されることを希望しています。
25 しかし、今は、聖徒たちに仕えるために、エルサレムに行きます。
26 なぜなら、マケドニヤとアカヤの人たちは、エルサレムにいる貧しい聖徒たちに、いくらかの献金をすることに賛同したからです。
27 確かに彼らは賛同しました。聖徒たちは彼らの債務がある人です。なぜなら、もし異邦人が彼らの霊的な物事を貸してもらっているなら、彼らの肉体的な物において奉仕する義務もあるのです。
28 したがって、私はこれを終え、彼らにこの成果に印を押した時に、私はあなたがたの所を通ってスペインまで行きます。
29 そして、私はあなたがたの所に行く時、キリストの福音の祝福をたくさんたずさえて行くことと、私は確信しています。
30 さて、兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストのため、また御霊の愛のために、私のために神への祈りによって、私と共に奮闘することを、あなたがたに懇願します。
31 それは、私がユダヤにいる信仰のない人たちから救い出され、また私のエルサレムへの努めが、聖徒たちにとって好ましいものとなるためです。
32 それは、神のご意志によって喜びを持って、あなたがたの所に行き、共に休むためでもあります。
33 では、平和の神が、あなたがた全員と共におられますように。アーメン。

16章

では、ケンクレヤにある教会の僕であり、私たちの姉妹でもあるフィベを、あなたがたに推薦します。
2 なぜ推薦するかというと、彼女を聖徒たちとして、主にあってふさわしく迎え入れてもらうためです。また、彼女があなたがたから必要とすることは何でも援助してください。なぜなら、彼女自身は、多くの人の助け手であり、私にとっても助け手になった人です。
3 キリスト・イエスにあって、私と共に働く者であるプリスキラとアクラにご挨拶してください。
4 彼らは、私の命のために自分自身の首を危険にさらしてくれたのです。私だけではなく、異邦人のすべての教会も彼らに感謝しています。
5 また、彼らの家にある教会にもご挨拶してください。私の愛するエバネトにもご挨拶してください。彼はアカイアにおけるキリストのための、最初の収穫です。
6 私たちのために非常に苦労してくれたマリヤに、ご挨拶してください。
7 私の血縁で、いっしょに投獄されたことがあるアンデロニコとユニアスにご挨拶してください。この二人は使徒たちの間に名の通った者たちであり、私より先にキリストと共にいるのです。
8 主にあって私の愛するアムプリアトに、ご挨拶してください。
9 キリストにあって私たちと共に働く者、ウルバンにも、また私の愛するスタキスにご挨拶してください。
10 キリストによって良しと認められたアペレに、ご挨拶してください。アリストブロの家に属する者たちに、ご挨拶してください。
11 私の血縁ヘロデオンに、ご挨拶してください。ナルキンの家に属し、主にいる者たちに、ご挨拶してください。
12 主にあって苦労するツルパナとツルポサに、ご挨拶してください。主にあって多くの苦労をした愛するペルシスに、ご挨拶してください。
13 主にあって選ばれた人である、ルポスにご挨拶してください。また、ルポスと私の母にもご挨拶してください。
14 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、そして彼らといっしょにいる兄弟たちにご挨拶してください。
15 フィロロゴとユリヤに、またネレオと彼の姉妹に、オルンパまた彼らといっしょにいる聖徒全員にご挨拶してください。
16 聖なる接吻で、互いにご挨拶をしなさい。キリストの諸教会は、あなたがたにご挨拶を送ります。
17 兄弟たちよ、私はあなたがたに懇願します。あなたがたが学んだ教理と違って、分裂やつまずきを起こす者たちに注意して、彼らを分離しなさい。
18 なぜなら、そんな人たちは、私たちの主イエス・キリストに仕えていませんが、自分たちの腹に仕えているからです。そして彼らは、甘い言葉やまことしやかな言葉によって、無垢な人の心をだますからです。
19 なぜなら、あなたがたの従順は、みんなに行き渡っています。ですから、私はあなたがたのために喜んでいるが、私は、あなたがたが善いことについて賢くなり、悪いことに対して無知になってほしいです。
20 そして、平和の神がすぐ、あなたがたの足の下に、サタンを踏み砕いてくださいます。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にありますように。アーメン。
21 私と共に働く者であるテモテ、また、私の血縁であるルキオとヤソンとソシパテロは、あなたがたにご挨拶を送っています。
22 この手紙を書き記した私、テルテオから、主にあってご挨拶しています。
23 私と教会の全員の家主であるガイオは、あなたがたにご挨拶を送っています。市の管理職であるエラストとその兄弟クワルトからも、ご挨拶を送っています。
24 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた全員と共にありますように。アーメン。
25 さて、私の福音により、また、イエス・キリストの宣教によって、あなたがたをかたく立てることができる方に、永遠の時から秘密にされた奥義の啓示によって、
26 (しかし、その啓示は今、預言者たちの御言葉を通して、また永遠の神の命令によって表われ、信仰の従順に至るまで、すべての国々に知られています。)
27 唯一の知恵ある神に、イエス・キリストを通して、栄光が永遠にありますように。アーメン。


  1. 御使いたちも悪霊たちも含まれている。